2015年9月10日木曜日

被災地ボランティア7日目

文責:宮崎学園短期大学 田代茜
 今日は、朝6時半からラジオ体操をしました。ここは、原町仮設住宅の方ととなりの公園でラジオ体操を毎朝行っています。前回原町仮設の方の家を訪問し、話を聞く機会がありました。その方にもお会いすることができ、再び会うことができました。仮設住宅の方は、「山菜をまた取りたい」「家に戻りたい」という言葉を発していました。することがないといい、ペットボトルで風車などを作っています。松ぼっくりは、放射能が高いかもしれないから子どもたちと遊ぶことができないという言葉が印象的でした。
(UMKで心に残るコメントをしていた志賀さんとラジオ体操で再開)

 午前中は、民商の松本さんに会いに行きました。この方も前回出会った方で、就職祝いもいただきました。アースウォーカーズで知り合った人とのご縁は、ずっとつないでいたいと強く思いました。

(牛を守る吉澤さんの話)

 午後からは、希望の牧場に行きました。ここは、国や行政が牛は全て殺処分をしろと言われていましたが牛の命を全うさせたいと出荷することはできませんが今も大切に育てています。吉澤さんの話で「猫や犬などのペットは全て保護されたにも関わらず、家畜は全て殺処分」という言葉に私は、家畜も大切に育ててきている動物の一つなのに、人間だけの理由で殺すということは本当にひどいことだなと思いました。吉澤さんは、全国をまわり今でも福島のことを訴え続けています。私たちは、もっと福島に寄り添い考えていかなければならないと思いました。また、批判されることがあっても諦めず訴え続ける勇気は本当にすごいなと思いました。

(前回家財の運び出しを行った菊地さんとの再開)


 吉澤さんのお話を聞いた後、前回の松本ボラセンの時に家財の運び出しを行ったお宅を訪問しました。仮設に普段は住んでいますが、眠れなくなり家に戻る選択をしたとおっしゃっていました。自分の家で生活するのではなく、仮設で生活しなければならないつらさ・悲しさはすごく大きいと思いました。前回より元気もなく、周りの方が寄り添っていくことや一人でいることが多いので話をしに行くことが大切だなと感じました。

(沿岸部に残された津波の後)

 次に近くにある、原町区の沿岸部を見に行きました。ここは、原発から20キロ圏内の場所です。前回、ここも訪れましたが重機が入っていて、家がもう少なくなってきました。土台だけ残された橋や崩れた家など未だに残っていました。ここがもし津波の被害だけだったらどうなっていたのだろうとすごく考えさせられました。






文責:宮崎大学1年 井上翔
 今日は、社協で活動しました。私たちの班は屋内の家具出しや清掃を行いました。作業をしている中で、40年前の新聞や写真、食器などが出てきてすごく思い出のある家を手放さなくてはならなくなった家主さんの気持ちを思うと悲しくなりました。私たちの他にも、様々な県から大学生が来ていて福島を応援する人がたくさんいると分かり、彼らと協力しながら支援を続けていきたいと思いました。

 
 今日はボランティアが多くいたので作業は午前中で終わり、車で移動しながら写真を撮ったり、線量を測ったりしました。多くの場所で除染が進んでおり、復興の歩みが少しずつ進んでいると感じました。
 (震災から立ち上がる住民の気持ち)
 
 その後、希望の牧場で吉沢さんにお話を聞きました。国から放射線を浴びた牛を殺処分するように言われたとき、周りの牧場が国の方針に従っていく一方で、牛飼いとして牛を守るという道を選んだそうです。話を聞いて、日本は2020年の東京五輪を復興五輪と位置づけ、震災から立ち上がった日本を世界にアピールしようと進んでいるけれど、震災の問題は解決していないので、もっと慎重に考え福島に関心を持つべきだと思いました。また、ドイツのように脱原発を目指し安全な電力供給を行うべきだとおっしゃりました。原発は多くの利益をもたらしますが、100パーセント安全ということはできません。人の命と利益、国はどっちを守ることが大切なのかしっかり考えるべきではないでしょうか。
  
 (吉沢さんの話を聞くメンバー)

 
 国に対する不信感を感じ自分の選んだ道を進もうとする人がいたり、あきらめて希望をなくしてしまう人もいます。全ての人が幸せになって欲しいと思うけれど、現実は多くの人が苦しんでいます。震災が与えた影響の大きさを感じた1日でした。明日も社協で活動するので精一杯活動していきたいです。
 
 






文責:松崎喜代治
 今日は社協のボランティアセンターに行きました。家財の運び出しをしました。家財を運んでいるときに出てきた40年前の新聞などをみて長い間くらされていた家だと分かり、その家に住めないということを考えると悲しくなりました。

 希望の牧場で吉沢さんの話を聞きました。希望の牧場では被ばくした売り物にならない牛を飼育し続けています。原発がある街では、避難用のバスが来ていたのに対し、その周辺地域では原発の情報さえ知らされてなかったそうです。話を聞いていて国や東電に対する怒りが伝わってきました。

 南相馬原町区小浜の前回見た津波で壊れた橋の場所に行きました。その近くに津波で流されずに残った家が残っていました。前回行ったときに比べて瓦礫などが片付いていました。少しずつ復興に向かっていると実感しました。

 前回家財道具の運び出しのボランティアをした菊池さんに会いに行きました。菊池さんは前回お会いした時よりも元気がなく、仮設住宅では寝れないとのことで家に戻ってこられていました。仮設住宅に入っている方は今でも苦しんでいられる方がいるということを改めて実感しました。







文責:宮崎公立大学1年 日高 綾
 今日の朝はカリタスの人たちと公園にラジオ体操をしにいきました。そして、その公園の横にある仮設住宅の志賀さんのお宅に行き、お話を伺いました。志賀さんは今年の3月もアースウォーカーズが行っていたので、その時撮影されていた取材の映像をお見せしました。志賀さんはゴミ拾いをして拾ってきたものや松ぼっくりを使って飾り物を作るのが上手な方で、庭がカラフルで緑もいっぱいあり、とても綺麗でした。そして、私たちにもペットボトルで作った風車と松ぼっくりの飾り物をくださいました。ですが、松ぼっくりが放射線量を測定してからでないと使えないのでとても小さく、少量しか取れないそうです。なので宮崎の大きな松ぼっくりを届けて、子どもたちと一緒に飾り付けをしたりする活動が出来ると、いいなと感じました。

 そして朝ご飯を食べて、社協に届いている案件の中から、屋内の家具だしの活動をしました。人数が多かったので午前中で終わりました。そこで香川県出身の同い年の友達ができました。その子は自費で福島のボランティアに来ていて、意識が高いなと感じました。全国には震災のことを考えていて実際に遠方から足を運んで支援に来る人がいることを知って嬉しかったです。私もこれからも出来る限り支援を続けていきたいと感じました。
(ボランティアに行く前)

 その後、希望の牧場の吉沢さんにお話を伺いました。放射線の影響で、政府からは殺処分をするように言われたのですが、吉沢さんは牛の命を奪うことはせずに育てています。その牛たちの餌代は募金でまかなっています。私の出身である宮崎県も数年前口蹄疫が広がり、相当な数の牛が殺処分されたので、少し状況は違うけれど似ているなと感じました。福島に来てから色々な意見を持った人にお話しを聞いたのですが、吉沢さんは他の意見も尊重しつつ自分の正しいと思ったことを信じて、それをしっかり行動に移しているところが凄いと思いました。
(希望の牧場)

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