2015年9月13日日曜日

被災地ボランティア12日目

分析:宮崎学園短期大学 田代 茜
 今日は、初めに福島30年プロジェクトの阿部さんから話を聞きました。話の中で、最初は玄米が860ベクレル、キウイが673ベクレルなど当時の500ベクレルを超えたものも多くあったそうです。平成23年度はに、根っこから吸収された放射能と樹木についた放射能があり、樹木についた放射能を取り除くため、樹皮をはがしたり、付着を防ぐための工夫をしたりしたところ急激に値が下がっていったそうです。
 この話を聞いて、もっと早くに対応することで早く下げることができたのではないかと思いました。


 次に福島在中で子育て中の大内さんという方にお話を聞きました。この方は、震災後避難し1年半前に戻ってきたそうです。大内さんの話を聞いて思ったことは、思っていることを言えないストレス等、様々な状況があり、この状況がとてもきついものだなと思いました。思っていることを言うと、周りからまだ気にしているのかということを言われ、認められないのがすごく辛いなと思いました。また、放射能を気にしていないんではなく、もういいやと諦めてしまった人がおおいという話も聞き、とても残念に思いました。

 今回話を聞いて感じたことは、2つあります。1つ目は、様々な意見がある中でそのどれかをその人それが選択していく、このことをきちんと受け入れないといけないということです。前回、話を聞いた方で正解はいっぱいあるということをおっしゃっていました。そのことを私も受け入れていかなければいけないなと思いました。2つ目は、放射能のことは、なにもわかっておらずなにもわからない状況の中で、原発を再稼動させることは危険だなと思いました。鹿児島県の川内原発が再稼動しましたが、もしまた事故が起きた時の対応がまだできていないと思います。福島で起きた原発事故をしっかりうけとめるべきだと思いました。





文責:宮崎大学1年 井上翔

 今日はまず、NPO法人福島30年プロジェクトの阿部さんにお話を聞きました。「DAYS JAPAN」や「未来のふくしまこども基金」の協力で放射能を測定する機器を購入し、一般の方の食品を測るイベントを実施したそうです。このとき多くの人が食品を測定して欲しいと言ったそうです。放射能に対する不安をたくさんの方々が持っていたことが分かります。最初はセシウムの量が高かった食品が徐々に減っていく様子をグラフを見せながら説明してくださいました。また、福島市で線量が高い地域を避難区域にするよう交渉したが、受け入れられなかったということも話してくださいました。行政に対する不安から自分たちでやらなければならないと思ったそうです。
 (セシウムの経年変化)

 その後、大内さんと佐原さんの話を聞きました。子どもを守るために必死だったといいます。周囲のお母さんたちが放射能はもう大丈夫だという中で、放射能を心配していると言い出しにくかったそうです。子どもを守るが故にストレスを抱えて生活しなければならないという現状があります。ただでさえ震災が起こったことで不安を抱えているのに、そういった人間関係の中で毎日を歩んでいかなければならないので、相当なストレスだったと思います。その中で必死に生きているお母さんたちは本当にたくましいし、そういう人の力になりたいと思いました。私たちに必死に福島の現状や実態を訴えかけられる姿が印象的でした。
 (大内さんの話を聞くメンバー)



文責:松崎喜代治
 今日は、はじめにNPO法人福島30年プロジェクトの方に話を聞きました。震災当初線量計が入手できなくて、食品や場所の線量測定ができなかったと聞きました。
 
 食品の測定器とホールボディカウンターは高価なのでDAYsJAPANと未来の福島こども基金の支援で購入したそうです。11年の秋から本格的に測定しはじめたそうです。測定しはじめた当初は規制値を超えるものもあったそうです。一日10件ほどしか測定くらいしか測定できないため予約して1カ月になるくらい測定依頼が多かったそうです。最初の一年間は果樹類を中心に線量が高いものたくさんあり、果樹類は樹皮をはがしたり洗浄器で洗浄した結果線量は下がっていったそうです。
(福島30年プロジェクトの方との記念撮影)
 2011年度に政府が全量買い上げ等をし、次年度から対策が行われたものを出荷できていれば福島県産に対する消費者のイメージが違ったものになったという話を聞きました。
兵庫県産の大根を使用して福島県の色々な場所で切り干し大根にする切り干し大根プロジェクトというものをしたそうです。結果は干した場所によって線量が異なったそうです。放射性物質の影響はまだ残っているということが分かりました。

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