2014年9月29日月曜日

東北ボランティア2014夏 13日目


文責:宮崎大学 みさき

今日は宮城を離れて再び福島へ。
福島市の「カーロふくしま」で小学生と高校生のお子さんを持つお母さんのお話を伺いました。
そのお母さんは子どもを守りたい一心で疎開させたり、家族で県外へ移住した経験があるそうです。
今でも、福島産の野菜をひかえたり、できるだけ外での活動をさせないなど放射線に対してとても気をつけて生活を送っているようですが、ここまで気を付けている人は少数派であるらしく、そのギャップに苦しむことも多々あるようです。原発さえなければこんなにもストレスを抱えずに済むのに、、、という思いでいっぱいになりました。

午後はぶんかささや幼稚園に行き、貝殻のプレゼントを渡しました。この貝殻は8月に宮崎の浜辺で拾い集めたものです。その時の様子

子どもたちに貝殻を見せると、年長さんたちは「貝がらだ~!!」と喜んでくれました。

小さい子たちの中には生まれて初めて貝殻を見る子もいたようで、興味深げに眺めていました。
みんなに貝殻を渡すと、貝殻の外側どうしをこすり合わせて遊んでいました。


最後には大きな大きなお手紙と、手作りのお花をもらいました。みんなありがとう。






文責:宮崎大学 せいじ

今日は、早朝から石巻を出発し福島へ向かったのですが、昨日からの大雨で主要な道路が浸水し大変なことになっていました。後からニュースを見てみると、この日石巻では観測史上最大の記録的豪雨だったらしく、つくづくアースウォーカーズはハプニングを呼び寄せる何かを持っているんじゃないかと思わされます。()


福島に入ると、女性や子供たちの交流の場として様々なプログラムを実施している、『カーロふくしま』へ行き、一人のお母さんのお話を聞いてきました。


印象に残っているのは、最初に国が正しい情報を流してくれなかったために、高い放射線量の中、普通に外で遊ばせてしまったり、食べ物の線量の基準を国際基準の20bq/kgから震災後に日本だけ100bq/kgにまで引き上げたために、99bq/kgの線量では不検出扱いになり、また不検出の結果に安心して自分たちで測ってみたら100bq/kgをはるかに超える線量だったりと、積み重なった国に対する不信感です。
それにより安全だとは言われても、放射能の心配のない県外の宅配の野菜や水を購入している家庭もあります。

お話を聞きながら、仮設住宅でお聞きした安心と安全は違うという話を思い出しました。
実際のところ、国がなんと言おうが、空気や水や食べ物が、『安全』かどうかは自分たちには分からない。それは裏切られてしまったために信用できなくなってしまったから。
だからせめて、自分たちが『安心』できるように努めていきたい、といったものでした。

このお母さんにしてもそうでした。
自分なりに納得できる限りの事をして、その結果病気になったなら仕方ないと思える、とおっしゃっていました。何もしないまま病気になっていくのは嫌だと。

また、子どもが大きくなって、もし病気になってしまった時に、『どうして逃げてくれなかったの?』と責められるのが怖くて、移住をしたというお話も伺いました。

体育の水泳の授業にも参加させていなかったり、運動場での放射線量を調べてもらうなど、子どもへの放射能の影響を最大限に心配されていました。


しかし最近では、福島を元気にしようという風潮から、震災直後のように声を上げにくくなっている現状を気にしていました。保護者会の中でもそれほど放射能の影響を気にしなくなったお母さん達が多く、家庭内でも夫との意見の違いで肩身が狭くなるなど、人間関係への影響は多くあります。
子どもの健康を心配する純粋な愛情が、子どもの行動に制限をかけてしまうのも事実だと思います。


いずれにしろ、私が一番不安なのは放射能どころではなく、子どもへの放射能の影響を心配をしすぎるお母さん自身です。震災から約3年と半年、ストレスにより心と身体が壊れつつあるような、少しずつ限界が来ているような、そんな印象を受けました。
子どもの保養だけでなく、お母さん達の心のケアというものも、東北支援をしていく上で必要不可欠なのだと、強く思うきっかけとなりました。









少々、加筆します。

何度、福島に足を運んでも衝撃と涙と苦しみに触れます。
この日は宮崎の海岸で拾った貝殻を福島に届けようという貝殻プロジェクト。

ご存知のように、福島の海には今も放射能が混じった汚染水が海に垂れ流されている。
オリンピック招致スピーチで安倍首相は、海に流している汚染水の放射能は、コントロール下にあるので問題ないという発言をしていました。

本当に出来ているかどうははさておき、そんな現状に福島では海に遊びに行ける子どもたちが激減しています。
そこで、宮崎から貝殻を拾って届けようと2011年から企画して今年も届けることが出来ました。

園長先生らから、福島の保育園の現状を聞き、放射性物質の影響で不安に思う保護者と気にしていない保護者がいる中、いろいろな支援を受けながら、ここまでやってきた事などを話して頂きました。

子どもたちに届けた貝殻は大きいのから小さいのまでたくさんあり、子どもたちみんなにプレゼント。

その保育園で米沢プロジェクトに参加していた女の子が通っていて、偶然の再会がありました。
私は、ご存知の通り記憶力があまりないのと、米沢プロジェクトでは全体を見とかないと行けないので、あまり子ども一人ひとりと遊べていないものあり、覚えていなかったのですが、一緒に行った宮崎大学のセイジが覚えてて「先週、米沢で一緒に遊んだよね〜」と随分盛り上がりました。

そんな貝殻の交流のあと、保育園の中を歩いていると、隣の部屋に砂場がありました。
屋外の砂場には原発事故の影響で放射能が降ったため、砂場は屋内に作り直したそうです。

その砂場を見ながら、原発事故が起きてからの、母親たちの苦しみ。子どもたちの制限された状況。そのニーズに応える保育士たちの葛藤。
この3年半の苦しみを想像しただけでも、胸がしめつけられました。

そんな保育園の除染も進み、「放射線量が随分下がったので、新しい砂を提供してもらい、屋外の砂場を近々再会できそうです」と笑顔で語っていただいた保育士さんのこれまでの苦しみは、計り知れないです。

みなさん、ぜひ、福島の子どもたちの現状とその周りで子どもたちを守ろうと今も必死で取組んでいる方々がいる事を忘れないで欲しい。

よりよい、日本社会を想像しながら、ひとつずつ諸問題を解決して行きたいですね。


アースウォーカーズ
代表理事:小玉直也

2014年9月28日日曜日

第4回福島の子どもたち日帰りリフレッシュプロジェクト


さわやかな秋晴れの中、第4回福島の子どもたち米沢リフレッシュプロジェクト 開催!!
文責:栗田宿那(福島大学)

※本活動は宮崎県の東日本大震災復興活動支援事業による委託事業として実施しています。

さわやかな秋晴れの下、史上最多27名の参加者と共に福島を出発しました。
今日の活動内容は、同日米沢市の伝国の杜周辺で開かれている「第3回なせば成る秋祭り」への参加と、公園での外遊びや自転車練習です。


行きのバス特有のワクワクとドキドキで満ちた気持ちでまず向かったのは、山形県米沢市の中心部、伝国の杜前の広場です。
ここでは前日と当日の2日間「なせば成る秋祭り」というイベントが開かれていました。
このお祭りのきっかけとなる米沢藩の名君上杉鷹山は、宮崎の高鍋藩から養子で迎え入れられました。
私たちが訪れる前日にはキャロライン・ケネディ駐日大使や山形県知事が訪問し、会場は大混雑だったそうです。
また会場では、「棒杭市」と呼ばれる無人販売所が設けられており、宮崎県串間市からも物産が出品されていました。

ここでは、子ども達とスタッフがグループに分かれての自由行動です。
子どもと大学生だけでの自由行動には不安もありましたが、活動に一緒に参加している保護者の方にも子どもの世話から離れてリフレッシュしてほしいという思いがあり、実行しました。
実際にいつもこの活動に来てくれているメンバーが中心となって子供たちをとてもよく見てくれていたので、不安は杞憂に終わりました。
多くの子どもたちは終始「アクセルリンク」が運営している昔遊びコーナーで竹馬や水ヨーヨー釣りに夢中でした。
昔遊びは現代の子どもたちには楽しめないのではと思いがちですが、そんなことはありません。
伝国の杜の前の広場は芝生の小高い山になっていて、お昼ご飯を食べ終わったあと子どもたちは大学生のスタッフと追いかけっこをしたり、芝生を転がってみたりと思い思いに遊んでいました。
保護者の方も時間まで買い物などをしてお祭りを楽しんでいたようでした。
約3時間の自由時間を終え、次に向かったのは米沢市郊外にある大森山森林公園です。
この公園は遊具が充実していて小学校高学年や中学生でも楽しめるほか、アスファルトで舗装された周回コースがあり自転車練習にも適しています。
今回自転車は6台ほど用意しましたが、それでも順番待ちができるほどの人気でした。
福島では自転車に乗せたくないという保護者の方がまだまだ多くいます。
9月の末とはいえ、日差しが照りつけ立っているだけでも暑い日だったので、子供たちはとても嬉しそうに自転車を乗りこなしていました。

また、この機会に自転車練習に挑戦する子もいました。
スタッフがずっとサポートに入って練習したおかげで、完璧とは言えないまでも最初よりかなり上達していました。
広い公園で思い思いに遊ぶ子どもたち、そしてその姿を見ながら談笑する保護者もあり、公園は和やかなムードに包まれていました。
ただ、談笑の話題として放射線量のことが普通に取り上げられていることが気になりました。福島では非日常が日常になっているのかもしれません。
日差しが弱まり、風が涼しくなってきました。家に帰る時間です。
バスに乗車する際、子供たちには宮崎の大きなまつぼっくりとチーズ饅頭のプレゼントがありました。
帰りのバスの車内で、当団体のメイン活動である「第3回福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ」のDVDを見て頂き、アースウォーカーズの活動を紹介させていただきました。
行きとは違い静かな車内。子どもたちは今日1日たくさん遊んでリフレッシュできたのではないかと思います。
以上




追伸:小玉直也
福島の3児の母親の押山靖子さんからメッセージが届きましたので紹介します。
押山さんは、今年の第3回福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプに参加された際「アースウォーカーズとして、小学生の保養もやって欲しい」とお願いをされました。
そんな押山さんの一言から始まった米沢プロジェクトで、毎回スタッフとして奮闘され、素敵なご主人もその活動を理解され応援していただいて参加していただいています。
以下転送です。



4回目にしてやっと参加者と直接関わる時間が持てた回になりました。
少しずつ色々な事にも慣れてきたようにも思い、段取りもスムーズにいけたのではと思います。
子ども達が楽しそうにお祭り会場で遊んでる姿!芝生の上で食べるお弁当~!子どもと一緒になって芝生を転げ回る参加者のお母様、どのシーンをとっても本当に良かったと思います。
午後の公園では、小2、小3の子でも自転車に乗った事がなく、何度も転びながらも 一生懸命練習して、たった一時間で乗れるようになった子!お母さまの自転車を買ってあげたいけど、どこで乗らせたらいいかわからず今まできてしまいました。とおしゃってた事が忘れられない。
乗れるようになった子どもの姿を見て、クリスマスは買おうね~と話していました。
まだまだ福島では制限と不安がある中での生活。自分もその一人だからこそこの活動は続けなくてならないと思いました。
そして、忙しい中、到着時にかけつけて下さった山口さん、朝見送りだけでもと福島駅に来てくれた鈴木君、手配ミスでおやつが届かなくなるとこを助けて頂いた佐藤さん、米沢市役所前の相田さんや、アクセルリンクの古澤くん、三原くん、に永瀬さんや、沙也佳ちゃん、福大の学生のれいや、まっちゃん、颯くんに、まやちゃんそして嫌な顔1つせずに黙って手伝ってくれた主人、毎晩遅くまで打合せをして1つ1つ準備してきたすくな。
遠く宮崎でホームページのアップや問い合わせに対応してくれてる小玉さんはじめ宮崎の学生の子達表には見えないてこない方々のサポートがあり、無事今日を終える事ができました。本当にありがとうございます。
押山靖子


そして昨日届いた、子どもたちからのアンケートに思わず涙が出たので一言だけ紹介します。
Q:一番楽しかったことは何ですか?
A:自転車に乗った事です。ふくしまでは、自転車に乗れないからです。

引き続き日帰り米沢リフレッシュプロジェクトを継続していきたいと切に思いました。
継続した支援が出来るようアースウォーカーズの一口500円〜のマンスリーサポーター会員も募集していますので、ぜひよろしくお願いします。

最後に、今回から撮影した写真のスライドショーを紹介しますので、ぜひご覧ください。


東北ボランティア2014夏 12日目

文責:宮崎大学 川島美咲
今日はりょうさん、むつきさんと別れ、3人で南三陸と気仙沼の視察に行きました。
宮崎県国富町の畳屋さんが送ったのある馬場中山の公民館や、テレビでよく見る南三陸の防災庁舎なども見ることができました。
午後には歌津中学校に伺いました。2011年5月に宮崎大学アースウォーカーズの先輩が卒業式のお手伝いに訪れた中学校です。
ボランティアの人が作ったスリッパラックや棚の裏によく見知った名前を見かけて、感慨深いものがありました。
震災当時からいらっしゃる先生にもお話を聞くことができました。震災直後に手作りの卒業式で巣立っていった学生と同い年である私が今回ボランティアに来たことに、時の流れの速さを感じておられたようです。

ある先生が、「私は家を建てて仮設から出られるように、いま、精一杯働いているんです。被災者は『自分たちは被災者だから、、、。』と支援していただけることを当たり前のことだと思ってはいけないと思う。」と仰っていました。地元の人々の「元の生活にもどる!」という強い思いと、その思いを支えるボランティアの両方が大切なのだと感じました。




文責:宮崎大学 遠矢聖仁

今日は北上し気仙沼や南三陸へ向かいました。
津波によって甚大な被害を受けた地域であり、至る所で線路のレールが途中で途切れていたり、携帯ショップやコンビニがプレハブであったり、復興が進んでいるとは言いますが、大き過ぎた被害の傷跡がまだまだ残っているように感じました。
南三陸町にある歌津中学校へ行くと、運動場の半分近くが仮設住宅になっておりその異様な光景に驚きました。運動場ではその狭くなったスペースを更に分割して、野球部とサッカー部と陸上部が部活動に励んでいて、私たちが前を通ると、全員が声を揃えて挨拶してくれたのですが、こちらの方が背筋が伸びたし初めての体験で少し感動しました。

この野球部は震災当時、学生は全員無事だったものの、コーチである三浦毅さんは、南三陸町の防災課に勤務されていたため、津波が押し寄せる中、最後まで職務を全うし亡くなりました。

直後に作られた野球部の子どもたちの文集には、亡くなったコーチと共に全国大会を目指したいという作文が書かれてあり、玄関の所に飾られていた野球部の地区予選の優勝旗を見て、こみ上げるものがありました。
 また、震災直後ニュースなどによく取り上げられていた防災庁舎へも行き、手を合わせ来ました。
驚いたのは、今でもかなりの数の献花とお供え物がされていたことです。自分たちが行った時にも、県外から来た人が立ち寄っていました。

震災から4年近くが経過して震災に関する報道も減り、宮崎で普通の生活をしていると、なかなか震災を思い出す機会がありません。
防災への意識を高めて日頃から備えることで、もし同じ規模の震災が起こっても、最小限に被害を抑えようとする努力が、震災を悲しい過去で終わらせないということに繋がるのだと思います。

今回の野球部や防災庁舎、津波で息子を失ったお母さんの話から、
一つの東日本大震災のという災害の中に悲しいお話は語り尽くされないくらい溢れていて、
先日聞いた『「1万人の亡くなった事故」ではなく「1人の人間が亡くなった事故が1万回起こった」のだと捉えて欲しい』という言葉を強く思い返しました。

地震や津波などの天災は、防災によっていくらか被害は小さくできるものの、やはり限界があるように思います。
しかし戦争や原発事故などの人災は、人間の努力次第でいくらでも防げるものです。
人が作ったのものによってこれほどまでに、そしてこれから先も、人や動物や自然が苦しめられるという現実。
害を与えず処理ができていない時点で、エネルギーとして成り立っていないのだと改めて感じました。

2014年9月27日土曜日

東北ボランティア2014夏 11日目

文責 宮崎公立大:むっちゃん
お世話になった福島市の笹谷東仮設住宅を出発し、宮城県にむかいました。
朝早い出発にもかかわらず、みなさん温かく見送ってくださいました。

宮城県では、海沿いの視察をしました。
カキの漁師さんや、ホヤの漁師さんのお話を伺うことができました。ホヤを出荷するには3年かかるそうで、今年が震災後初めての出荷ということでした。
また、「なんとかしないと、核のゴミ箱になってしまう」という漁師さんの声が、原発事故の被害の重大さを物語っていました。
事故の影響は、人間だけが受けるわけではありません。海にすむ動物、森にすむ動物、植物、水、全てのものに影響を与えます。
漁師さんがホヤを出荷するまでに、多くの苦労と努力があったことがうかがえました。





文責:宮崎大学 遠矢聖仁
今日から宮城の石巻に入りました。
ピースボートの方に付き添っていただき、お話を伺いながら回りました。
女川町など海岸沿いに面した津波の被害を直に受けた地域では、
倒壊した建物がそのまま残してあるなど、視覚的にも分かる程の傷跡も見られました。
しかし泥出しは見た所ほぼ終わっていて、中にはより住みやすい町づくりを進めている所もあり、被災地だとは思えない程の復興の進み具合に驚きました。
何よりそこに住んでいる商店街の人や漁師さんの間に活気が溢れていました。
比べてはいけないと分かっていても、福島の現状を思い出してそのギャップに驚きました。
原発の事故が起こってしまったことで立ち入りが制限されたため復興は遅れ、
放射能という障害が皆を同じ方向へまとめることを弊害しているのだと改めて思いました。

夜にはコスモスの家という施設へ行き、震災直後に東京から来たボランティアの代表の方のお話を聞きました。
その一帯もガレキや津波の漂流物で溢れていたという話からは想像できない程きれいになっていました。
しかし、中々みんなが同じ方向を向いて復興に臨めていないという現在の状況等を聞き、
福島宮城に関係なく、目に見えていない所で抱えている問題や、求められるニーズの違いを感じました。

また、現在ではコミュニティーの回復に尽力されていましたが、
どんな被災地でも外の人間がいなければ成り立たないということではダメで、
いずれは地元の方々が立ち上がり元気にして行かなければならず、
これから先もずっとここにいるつもりはないとおっしゃっていました。
とは言いつつも2週間で帰るつもりが三年以上も住み着いてしまっている原さんに
地域の方々からの愛着と必要度の大きさを感じていました。







文責:宮崎大学 川島美咲
今日は福島をでて宮城県石巻市へ。
ピースボートさんの宿泊施設にお邪魔しました。
日和山、渡利、雄勝、女川の漁村を視察して感じた事は、福島に比べて復興が進んでいるということです。福島の復興が遅れていると言った方が正しいのかもしれません。沿岸部はかさ上げ工事の途中ですが、商店街などは活気に満ちていました。
視察にはスウェーデンから来たジャーナリストの方にも同行していただき、少しだけお話しできました。
夕方には、コスモスの家に行きました。
震災後にできたもので、長期休みには小学生たちがたくさん遊びにきているそうです。今日は時間が少し遅く、子どもたちには会えませんでした。
石巻市のゆるキャラグッズや被災された方が作っているアクセサリーも販売されていて、とてもアットホームな雰囲気でした。
みんなで食べた晩ご飯、とても美味しかったです。






文責:田中亮佑

今日は石巻での一日。石巻の復興がどのように進んでいるのかを現場を回りながら、ピー スボートの山元さんの説明を聞きました。震災当時、何度もテレビで石巻の様子は放送さ れていたので、私自身どのような姿をしているのか関心がありました。海沿いは、閑散と していたものの、商店街などはきれいに整備されていました。また、漁業も操業しており、 福島との復興の違いも感じました。



夕方に訪れた住民のコミュニティスペース「コスモスの家」では、震災直後の様子を聞き ました。住民が力を合わせて、復興していく姿に感動を覚えました。日本ではいつ、どこ で地震が起こるかわかりません。これらの被災体験を学ぶことで、私たちが住む街でも生 かしていきたいと思います。また、今回のボランティアツアーで今でも東北の支援を続け る多くの方に出会うことができました。震災の記憶は忘れられつつあります。しかし、こ れからも私たちは震災を忘れることなく、被災者の声に耳を傾け続けなければならないと 感じました。








追伸:小玉直也
福島から久しぶりに石巻へ入りました。ピースボートのヤマゲンの案内で市内から沿岸部を半日かけてまわり、地域の人の声、特に漁師たちの声を聞かせてもらいました。

夕方からは、BIG UPの原ちゃんとも再会できていろんな話しが盛り上がりましたね。

各地で復興とはほど遠い現地の人たちの声、一方で少しずつ復興していってボランティアに助けられていますというメッセージも多く聞けました。

震災直後のガレキや車、家などは片付けられ、ほぼ更地状態になり、津波対策のかさ上げや町づくりへ向けた計画があるそうです。
2011年の石巻を思い出し、変わりゆく景色を見ながら月日とともに一歩一歩前に進んでいるのを実感しました。

そして、現地で3年以上、支援を続けているみなさんに再会して、直後から変わりゆく住民たちのニーズに応える活動を聞き、本気で頑張っている熱い思いが伝わり、応援したいと強く思いました。

福島と石巻それぞれ場所は違えど2011年からスタートしたお互いの活動にエールを送りながらの石巻でした。

2014年9月23日火曜日

東北ボランティア2014夏 10日目

文責:宮崎大学 みさき
今日は福島市を中心に活動しました。
午前中は仮置き場の視察をして、笹谷東仮設の皆さんとパステルアートに挑戦。
お昼は「福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ!」の参加者のみなさんと一緒にお食事をしました。
昨年度の映像を何度もみてきたので、初対面にも関わらず、「うわー!大きくなったね!」と言ってしまいました。
子どもたちも積極的に話しかけてくれて、小さな妹や弟ができたような気分になり楽しい時間を過ごせました。
その後、福島大学で災害ボランティアセンターでお話を伺いました。
2011年3月14日に福島大学が避難所として始動して以来、様々な支援活動を行っている団体です。現在登録者数が380名ほどいて、38名のマネージャーが中心となって活動しています。
地元ならではの企画や組織の運営など、目からうろこ!なお話ばかりでした。宮崎大学アースウォーカーズのこれからの活動にも活かしていきたいです。個人的には、今回のボランティアに来て初めて同い年の学生に出会えた事がとても嬉しかったです。
福島に来て、たくさんの人に出会いました。毎日がとても充実していて、あまりお話しできなかった方もいますが、この出会いを大切にしたいです。







文責:宮崎大学 せいじ
今日は「福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ」に参加してくれた4組の親子と再会しました。
約半年会っていなかったのに、名前まで覚えていてくれた子たちもいて、懐かしさと嬉しさがこみ上げてきました。
みんなで来んねキャンプのDVD鑑賞もしました。今までも何度も見ていたのですが、
やはり本人たちと見ると思い出話に花が咲き、素敵なひとときを過ごせました。
この数日の間に、他に2組の親子とも再会できたのですが、企画で宮崎に呼んだ子どもの成長した姿を見れる点でも、福島に来たことの貴重さを感じます。
福島大学の学生団体「災害ボランティアセンター」で東日本大震災直後に活動を始めた経緯から今日にいたる報告を聞きました。
ボラセンでは40名近くがマネージャーという形で企画班や活動資金班などの部局に所属し中心を担っていて、
実際ボランティアに参加しているメーリングリストの登録者は400人近くにもなり、その規模の大きさとしっかりした組織形態に驚きました。
また部長に当たるゼネラルマネージャーという役割の人が3人いて、そのうち1人は下の学年から選出されるということで、
学年を問わずにやる気のある人が積極的に関わっていけることが、学生団体には必要だと感じました。
夜には、来んねキャンプ、サマキャンに参加された福大生に加え、
米沢プロジェクトにも第一回から関わってくださっている山形大学の学生も一緒にご飯を食べました。
企画が終わった後も、学生同士で腹を割って話す機会等を儲けて行くことが、
『福島の子どもたちの笑顔を作る』というような同じ方向を向いて活動している学生として、お互いの意識を高め合ったり、今後何か一緒に企画してやっていくというようなことに繋がれば良いと思います。






文責 宮崎公立大:むっちゃん
午前中、福島市の視察に行きました。
福島税務署のすぐ隣には、放射性物質の仮置き場があります。
仮設住宅や、中学校・高校からわずか数十メートルという近さです。
黒い袋が山積みになっており、私たちが視察している最中もクレーンで次々に袋が積み重ねられていました。仮置き場の周囲には囲いがありますが、すでにその高さを超え、外からも見えていました。この様子を見て、恐ろしく感じました。
税務署で線量を測ってみると、0.11μ㏜/h。
なぜ、住民のいる街中に仮置き場を作ったのでしょうか。
除染は放射線の影響を小さくするために行われるはずなのに、取り除いた放射性物質の仮置き場は人々の生活のそばにあります。
自分の住むすぐ近くに危険なものがあるという、不安や恐怖、怒り。
仮設住宅に住む方や、周辺の中学生・高校生は大きなストレスを感じながら生活されていると思います。
こんな所に仮置き場があることを知り、許せない気持ちになりました。







追伸:小玉直也

10日目のこの日は福島市内をめぐるコース。
最初に放射性物質の仮置き場の視察。その後、福島市役所の除染プラザに行って市の担当者が除染は進んでいて大丈夫だと言う話しを聞き、またギャップを感じる。
それから仮設住宅の方の話しを聞き、ランチでは子育て中のお母さんたち4人の話しを聞き、福島大学の学生たちの話しを聞いてきた。
大切なのは、安全だという行政や東電の意見も聞くし、不安に思っている住民や農家、漁師などの声も聞く事だと思う。
多くの福島見学ツアーでは安全だ、風評被害だという市役所や東電の人の話ししか聞かないコースが多いのは本当に残念である。

9/11付けの福島民報新聞の福島県民のアンケートによると、子どもたちの飲み水などに全く気にしないと応えた人がわずか13.6%。食品で産地を全く気にしないという人はわずか7.4%という結果でした。
数年前の宮崎の口蹄疫や鳥インフルエンザでの風評被害と大きく異なるのは、人体に影響を与えるかどうかも大きな一つと思います。

福島では、チェルノブイリでも問題になった、小児甲状腺ガンの疑いが2年目に50人台、3年目に80人台、そして今回4年目でとうとう100人台の子どもたちが苦しんでいる。
東電の主張する原発事故との因果関係は無いという論理は統計学上も医学上もあり得ないと思う。
つまり、実際、病気になっていく子どもたちが増え、その事実を隠ぺいする事により、我が子を守りたいという親たちが、産地や水道水に不安になるのは当然である。
これは、風評被害ではなく、実害がある事は火を見るより明らかです。


ぜひ、そんな福島の子どもたちのサポートを継続して行くためにも、アースウォーカーズのワンコインマンスリーサポーターへのご協力よろしくお願いします。

読んでいただいてありがとうございます。

2014年9月20日土曜日

東北ボランティア2014夏 9日目

文責 宮崎公立大学:田中亮佑

今日は休息日ということで、みんなで会津若松に観光に行ってきました。最近は、震災当時の話など精神的に重い話が多かったので、みんなリフレッシュできたようでした。
私は今日でみんなよりも先に福島を離れます。
この一週間、アースウォーカーズの福島ボランティアに参加して多くのことを学ぶことができました。まず、福島が震災で被害を受けた他の県に比べ、復興が明らかに進んでいないこと。もちろん、福島県のなかでも現状は様々です。今でも、津波の被害でつぶれかけている家などが残っており、震災の被害の深刻さを物語っていました。

また、今回は立ち入りが制限されている浪江町にも行かせていただきました。町は空っぽで不気味な気配でした。故郷を奪われていた方々の気持ちを考えると胸が痛くなります。

今回のボランティアツアーはいろいろな方のお話を聞く機会がありました。原発訴訟を担当する弁護士、福島で移動保育のNPOをされている方、仮設住宅で暮らす方々などなど、現地の人々との交流で様々な角度から福島復興の希望や問題点に触れることができました。

そして、福島には継続的な支援が必要であると改めて感じました。
実際に、被災地を自分の目で見て、気付かされることが多かったように思います。
他人事だった放射能が実際に自分たちもその環境にいることで、現実味をおびて考えるようになりました。
また、人の見た被災地とは違った姿が現場にはありました。よく自分の目で見ることは大切なことだと言われますが、改めてその重要性を感じました。
多くの学びを伝え、まだまだ進んでいない復興へ向け、東日本大震災や原発事故を風化させない活動をしていかなければならないと感じました。その姿が、多くの被災者の方の心の支えになれば幸いです。






2014年9月14日日曜日

東北ボランティア2014夏 8日目

文責 宮崎公立大:むっちゃん
昨日までボランティアをした南相馬市を離れ、今日から福島市での
活動が始まりました。
お世話になった方々に見送られ、福島市に出発です。
途中、飯舘村の役所に寄り、モニタリングポストで線量の確認をしました。
この日の役所の線量は、0.44μSv/h。
震災の年の夏は3μSv/hだったそうです。少しずつ、除染作業の効果が現れていることが分かります。
しかし、役所を離れると、0.97μSv/hが手元の線量計で観測され、
モニタリングポストの線量は、あくまでその地域の1つの値であることに気付きました。

臼石小学校の前では、除染作業を行っていました。
現在、臼石小学校は進入禁止になっており、少し離れた所で周辺の3つの小学校が集まって
1つの仮設校舎に統合されています。
自分の慣れ親しんだ学校に通えないというストレス。
子どもたちは、3校合同の校舎で、新しい友達関係を築くことはできているのでしょうか。
学校のこと以外にも、子どもたちはたくさんのストレスを抱えているはずです。

臼石小学校を眺めながら、震災後の子どもたちの状況が気になった1日でした。





文責 宮崎公立大学:田中亮佑
今日は、第3回「福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ!」に参加していただいた親子の方々と久しぶりにお会いしました。
子どもたちも元気な姿を見せてくれ楽しいひとときとなりました。
土曜日ということもありましたが、一緒に遊んだ本宮市の屋内遊具施設「スマイルキッズパーク」には、たくさんの子どもたちが遊んでいました。
子どもたちが多すぎて、遊びにくさも感じました。
嬉しかったことは、来んねキャンプ当時、未就学だった子どもが小学校に入学して、2月よりもたくましくなっているように感じました。
その一方、多感な時期に外で遊ぶことが制限されてストレスを感じている子どもたちがいることを残念に思いました。
子どもたちがのびのびと五感を使って遊べるような環境整備も進めていかなければならないと感じました。




文責:宮崎大学 みさき
今日は南相馬を出発して福島市に移動しました。
午前中は本宮市のスマイルキッズパークという室内遊戯場で、昨年度の「福島の子どもたち宮崎に来んねキャンプ」の参加者の親子2組とお会いしました。キッズパークは放射線の影響で屋外で遊ぶことのできない子どもたちが保護者同伴の下、のびのびと遊べる場所です。
中には砂場もあり、スウェーデンから輸入した特別な砂を使用しているとのこと。感触は、、、少し粘土質でしっとりしていました。形成も簡単なのですが個人的にはかなり違和感がありました。雨が降った後と乾燥した時では、砂の状態は全く異なるのに、ここの砂はいつでも同じ状態です。やはり、自然の中で遊ぶのが一番良いなと感じました。
お子さんたちとも仲良く遊べて自分自身もリフレッシュできました!子どもの笑顔にはいつもパワーをもらいます。

午後は福島市のあぶくま法律事務所でお話を伺いました。
9月10日に行われる東電に対する第4次集団提訴の準備で慌ただしい中、時間を作っていただきました。
東電側に津波対策が不十分だったと責任を追及したところ、「6m級の津波対策はしていたが、10m級は想定外の事態だった」と回答があったそうです。
ところが、実は「想定外」ではないようなのです。

1990年代に国から東電に対して「10m級の津波がきたときのシュミレーションを!」と要請があり、東電は「10m級の津波では、原発の電源が喪失する」という結果をだしました。
それにも関わらず10m級の津波が来ない方に賭けて、6m級の対応しかしていませんでした。
安全性を軽視し、コスト削減を図った結果が今回の事故につながったのではないでしょうか。

お隣の鹿児島に川内原発があり、串間市にも原発推進の動きがみられる私たちにとって、今回の事故は決して他人事ではありません。「明日は我が身」です。
原発の存在意義についてもっと多くの人に考えて欲しいと思いました。





文責:宮崎大学 遠矢聖仁
今日は五日間お世話になった、ボランティアのための宿泊施設、カリタスを立ちました。
私自身、2日間は寝込んでいたので、施設のシスターなどにとてもお世話になりました。
この施設では、ボランティアの人たちが全国から集まって来ていて、毎日のように出会いと別れがあります。
なのでそれぞれの作業が終わり施設に戻ってくると、ギターを弾きながら歌ったり、お酒を飲みながら話したりしていました。
中には一人で来ている大学生もいました。
真面目な活動の中のにも愉快さがあるような雰囲気や環境、スタッフの方々の温かさが、
若者でも被災地に飛び込んでボランティアができる要因になっているのだと思います。
本当にお世話になりました。

午後、福島市に移動して、国と東電を相手取って裁判を起こしている方々のお話を聞きました。
お話を聞いて行く中で、国や東電の、被災者の方々に対する向き合い方への怒りが大きいのだと感じました。
色んな方のお話しの中で、政府は原発から同心円で線引きして、補助金の額を決めていましたが、
実際のところ原発から近いから放射線量が高いわけではなく、また遠いから低いわけではないことを理解しました。

そんな中で、原発から近い地域ではすぐに避難勧告が出たにも関わらず、原発から離れた地域では放射線量が高い所でも、
情報開示が遅れたために通常の生活を続け、被爆した多くの方々がいたことを知りました。

放射能の話が上がる時、たびたび『福島』を一括りにされます。
それは食べ物にしても、補償金にしても、復興の進み具合にしても。

しかし、福島の中でもそれぞれの地域によって、震災後の影響や苦しみは多様多種です。
分断統治によって同じ県民の中で、いがみ合っている現状もあります。
放射能によって福島県の中がどのような状態にあるのか、ネットなどの偏った意見に左右されることなく、たくさんの人に知ってもらいたいと思いました。





追伸:小玉直也
学生たちが日々学ぶ原発事故後の報道されない福島の声。
今日はあぶくま法律事務所の鈴木弁護士と原告団の方々の深刻な話を伺いました。
鈴木さんには、その後の夕食もつきあっていただき、ごちそうになりありがとうございました。

そして、無関心な若者が多いといわれる昨今ですが、裁判や原告など若い人が足を運んで話を聞いてもらうだけでも、現地で頑張っている人の励みになるそうです。

また、機会が会えば、お話を伺いたいと思います。
今回は貴重な時間を割いていただき、ありがとうございました。


そして、この日までお世話になった南相馬。
早朝6:20に駐車場に集合し仮設住宅や近所の方々とラジオ体操が日課でした。
夜の交流が盛り上がる事もありますが消灯は23時と早寝早起きで健康的なスケジュール。
このラジオ体操を毎朝準備、運営している長崎さん本当にありがとうございました。NPO法人のスタッフの長崎さんから写真が送られてきたので紹介します。

そして、元気で頑張るあらためさん。震災後の話をいろいろ聞かせていただき感謝です。
夜のライブは行けませんでしたが、また会えるのを楽しみにしています。
本当に元気なおじいちゃんで、いろんなイベントなどでキャンドルを灯し街をロウソクで明るくしている素敵な方でした。