2014年5月4日日曜日

福島3日目は南相馬市と浪江町へ


たか
今日は、午前に庭の手入れ、午後に津波で使えなくなった物の処理や泥だしを行いました。
午前は、庭に落ちている木やビール瓶(ビール売っている店だったので)を袋に入れたり、木を切ったりしていると、現地の人が来て、被災者っていってもその家は犯罪者で自殺した人の家だからやる必要がない。と言われました。何事もなくすみましたが、正直、動揺しました。

午後は、小高駅前の家で作業を行いました。床下まであと数センチのとこまで浸水していたらしく、処理が必要な物はほとんど濡れていて且つ、苔が生えていたりしました。

休憩中にいろいろ震災当時のお話をお聞きしました。一番驚いたのは、津波の影響でライフラインが止まり、原発事故が起きたことは次の日の昼まで知らなかったらしいです。また、津波の影響で地下の水源が変わったらしく、急に水が出るようになっていたという話を聞いてビックリしました。
ボランティア後のお好み焼きはぶち美味かったです。広島の高校生が来て作ってくれたのですが、高校生でここまで来てやるのはすごいなと思いました。ちなみに、中学生のボランティアの過去にはいたそうです。
ボランティア後は20km圏内にある浪江町方面に行きました。途中の山道で線量を計ると14μsv以上の数値が出ました。写真でしか見たことがなかったので驚きが半分、3年以上経っているのにまだ、こんなに高いのかと感じました。
吉沢さんのお話は、牛について熱いものを感じ、震災後のことや取り組みについてのお話をお聞きした時、もうちょっとで泣きそうになりそうでした。
第三者の自分にとって何をすることが一番いいのか?福島にいると、いろいろ考えてしまいます。
無念にも自ら命を絶った酪農家の方の遺書が壁に書いてあったそうです。



マルタ
今日は、ボランティア2日目。今日はみんなバラバラの班に分かれて作業しました。
私は藤・竹伐採班で作業。
黙々と只ひたすら藤のつると戦いました。

午後は電動草刈機の初体験!
実は憧れていた電動草刈機。どんどん草を刈れるのが楽しくて仕方ありませんでした!
で・・・。
作業場は原町のとある山の斜面。山肌は線量が高いと昨日知っていたので、少し心配・・・。
休憩時に腰を下ろしたものの、そういえば、と腰を上げました。
ここで作業メンバーについて少し。
アースウォカーズのことを紹介したら、皆さんすごく興味をもって質問して下さいました。ありがとうございました!

作業が終わった後、浪江町へ近い南相馬市へ。原発からだいたい14km圏内の場所へ行ってきました。
線量が15~18μSv/hのホットスポットの存在、立ち入り禁止の柵で封鎖していた道路、廃墟と化した家々、衝撃の連続でした。

そんな所にある「希望の牧場」にて吉沢さんからお話を伺いました。
暗くなって、電気がつかない中、想いを語られる吉沢さんの姿に、その後しばらく何もしゃべれなくなってしまいました。

私は、ちゃんとした意味で福島の方達に寄り添えていたのでしょうか。
「寄り添う」意味の根底をもう一度考えようと思います。




あすか
 今日も南相馬市ボランティア活動センターでの活動でした。
今日は、センターに来るボランティアの人達が寝泊まりしていた無料宿泊施設の解体準備を行いました。
仮置き場がつくられるそうで、やむを得ず解体することになったそうです。

私が前回来た時もここに宿泊し夕飯を食べながら、活動した人達と交流した思い出の場所だったのと、常連のボランティアの方達にとっても大切な場所だっただろうなと思うと、残念でした。
施設内のふとんやたたみ等を運び出したり、施設に付け足した木材の手作りの柱や壁などをはずしたりしていきました。
なかなか進まない作業とゆくゆくは業者によって取り壊されることにもどかしさを感じながらも、感謝の気持ちを込めて片付けていきました。
目に見えて成果を実感出しにくいときでも、目的や目標を見失わないことは重要なことだと感じています。
今日の活動終わりには、松本センター長と会話をすることもできました。前回来たときから、熱い想いのセンター長のことをすごいなと思っていたので、嬉しい時間でした。
南相馬市ボランティア活動センターのモットーみたいなものに、「できる人が、できる時に、できる事をする。」という言葉があります。
ボランティアというのは、確かにそうだなと思わされます。
だから私も、行ける時は現地に行きますが、今いる場所でできる事をやっていきたいなと思います。

宿舎に帰る前に、小高と浪江の境にある希望の牧場さんにお邪魔し、高木さんと吉沢さんにお話を聴かせていただくことができました。
そこは、警戒区域内に取り残された被ばく牛の保護・飼育をしている方の牧場です。
餓死でも殺処分でもなく、牛を生かすという第三の道を選択し、牛とともに、原発を乗り越える社会を目指し、発信し続けていらっしゃいます。
生の言葉に、胸と目頭が熱くなりました。

お話を聴けて、もっとド真剣にこの社会に向き合い、考え、学ばなければならないと思いました。
そして、多くの人と一緒にそうできるように、私も行動していかなければならないとも思いました。



小玉
学生たちが日々、ボランティア体験や被災地のいろんな方の話を聞く中で、成長していく日々がたのもしいです。
宿泊しているカリタスジャパンには全国からのボランティアが宿泊していて、そこに宮崎のライフのパンさんからの差し入れを届けました。
多くのボランティアさんやベース長に喜んでもらいました。宮崎に来た際には、オススメのライフのパンをぜひどうぞ。

重ねて、ボランティアセンター長の松本さん、7年前の中越沖地震で宮崎大学や南九州大宅の学生らを連れて行った際に柏崎市のボランティアセンターでも受け入れを担当していて、再会を喜びながらの握手となりました。
宮崎大学の時枝さんも、1年半前にボランティアに来た際からの再会で盛り上がりました。

思い起こせば、2003年イラクで一緒だったメンバーと石巻で再会し、2005年スマトラ沖津波のボランティア出会った人と南三陸町で再会、そして1996年ロシアのナホトカ号の重油すくいのボラセンの方と二本松で再会したりと2011年はいろいろ再会しましたが、ここに来ての柏崎からの再会は本当に嬉しかった!!
覚えていただいた松本さんありがとうございます。

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