2012年10月13日土曜日

福島ボランティア9.24

小園です。

朝7時ぐらいに神くんの家で目が覚めた。久々のフカフカの布団は寝心地最高だった。寝起きの第一声が『俺、福島住むー(´Д`)』と言ってしまったほどである。

朝食にピザトーストを頂いた。美味であった。仕度をし、福島大学へ向かった。サークル棟で必要な荷物を積み込み、集合場所の近くの駅に向かった。

福島大学ボランティアセンターは、学生サークルで全体規模は300人くらいだったと思う。今日の活動は、9人ほどが参加していた。そのうち半分くらいの方が初めての足湯ボランティアだったらしい。
車で移動し、松川仮説住宅地についた。第一、第二住宅地があり、午前と午後でこの二つを回る予定だそうだ。住宅地に着くと、お湯をわかし場所作りをした。 私は、初めての仮説住宅だったので看板をもち宣伝をしながら歩き回ることにした。

多くの住宅で、プランターで家庭菜園をしていた。ミニトマトや木の実をたくさん分けてもらった。住民の方は、このくらいしかやることがないからね!といっていた。

部屋も見せていただいたが、六畳くらいの部屋で狭いなと 思った。電気・ガス・水道は通っている。

そうこうしているうちに足湯の時間になったので、会場に向かった。テントの中に、ブルーシート、ベンチをおき、足湯用のバケツみたいなものに沸かしたお湯と水と温泉の元を混ぜることで適温の温泉が出来上がる。

温泉の利用前に水分をとらせる。そして目安時間として、1人当たり10分弱温泉に浸かるということだった。その間私たちは利用者の方と話ながら手のマッサージを行うのだ。

私の1人目の相手は、おばあちゃんだった。初めてなので力加減や何を話せばいいかイロイロ不安だと思っていたが、案外楽しく接することが出来た。

宮崎の話や昨日までの活動など私の話を中心に盛り上がってしまったので、今後は自分の話を控えて相手の話を聞こうと反省した。

15分くらい足湯に使ってもらい、足が赤くなったので終了した。タオルで足をふくと、『あー気持ちよかった!またお願いね!』と言われ、昨日までのボランティアとは違う心のホッコリを感じた。

使ったバケツのようなものを消毒し、次の利用者にチェンジする。

ボランティアスタッフ9人に対し、使えるバケツが4つのため、残りの人はお湯の準備をしたり、待っているおじいさん方とお話をするのだ。私は広告回りも兼ねて、住民の方とお話をした。

大体の方が、『遠路はるばるご苦労様です。ありがとうございます。』とお礼を言われるので、よくわからないが『いえいえこちらこそありがとうございます。』 と返していた。

それから テントに戻り、待っていた方とお話をしていた。その人の番になり、『誰にマッサージをしてもらいますか?』と聞くとさっきまで話していたので..ということで私を指名してもらい、嬉しかった!

その人には、住宅のことを教えてもらった。ここに住んでいる人は皆同じ地域から来ていること。移動販売車で買い物をしたり、バスが出ているので、それで町まで買い物に行くなどである。

肩もみを喜んでもらえたのでよかった。
その人が終わると午前の部は終了だった。

住人の方が、あら汁を用意してくださったのでありがたくいただくことにした。非常においしかった。
そこに、直也さんが登場した。彼は、アースウォーカーズの代表である。すると、地鶏の炭火焼きを炊き出しする『宮崎食堂』の準備をし始めたので手伝うことになった。

炭をおこし、地鶏の炭火焼きを始めた。千切りキャベツの上に炭火焼き、見た目も非常に美味しそうだ。
住民の方に食べてもらった。非常においしい!と喜んでもらい嬉しかった。どこから出したのか焼酎もありの宴会が始まっていた。

皆さんの笑顔は本当に素晴らしいものだった。一時くらいになり、第二仮設での午後の活動の時間になった。私は、第二仮設分の炭火焼きを焼くため残った。

ようやく全ての炭火焼きを終え、移動したら午後の活動はほぼ終わりな雰囲気だったのでしまった!と思った。お茶を飲みながらほっこりしているグループに混ざり、話をした。

その時、手作り感のあるいい感じの籠を見つけた。私は母の影響か、和の雰囲気のあるものが好きだ。これはなんですか?と聞くと、『これは私たちが手作りしているもので、籠に和紙を貼ったり、古文書を貼っているものよ。今度の文芸祭にだすものなの。』と教えていただいた。

非常に興味深かったので、第二仮設の管理人の方に、作り方などを教えてもらった。すると、興味を持ったのをわかっていただき、『遠くからきてもらってるからこれはお土産よ。』と私が気に入った籠をプレゼントしていただいた!とっても嬉しかった!普通に買うと一万くらいらしい。


最後に片付けをし、管理人の方にお礼をいった。そして、管理人の話を聞いた。

『私には息子がいます。いい大人になっていますが、子供は作らないそうです。息子は、市の職員であり、原発爆発後、外回りで多くの家を回りました。息子の体内には、放射能が多く含まれているでしょう。息子は、もし子供に放射能の悪影響が出てしまったら、責任を取れないと言い、絶対に子供を作らないそうです。
なので、私は孫を見ることが出来ないんです。
返してください。私達の生活を返してください。
月10万の補償金を貰っても、私たちの生活は帰ってきません。 我が家に帰れないという不安。根無し草なんですよ。私たちは。
放射能の影響があるから、息子や孫に会うことすらできない老人がここにはたくさんいます。
なのであんな悲しみを生む原発なんてないほうがいいんです。』

話を一部しか書いていませんが、悲しみの声を聞きました。私たちに出来ることはなんなのでしょうか?


お別れをし、福島大学に着き、福島大学ボランティアセンターの人たちとお別れをしました。宮崎のお土産として、インスタント麺のうまかっちゃんをあげました。

ここから、直也さんと車で宮崎に帰ります。
高速を1600km、走行時間20時間です。
フルマラソン40回分ですもん、とりあえず、ハードでした。

帰りに、福島の事務所に寄ったり、除せん活動をしている寺に行ったりして26日に無事帰り着きました。


今回のボランティア活動のまとめとしては、
震災から一年半が経っていますが、まだまだボランティアが必要であるということ。
行ってみないと現状は分からなかったが、安全面で考えると今後行きたいという人にすすめはしない。
なので、離れた地ではあるが、宮崎からでもサポートをしていくのが一番だと思う。

そして、活動をしていくにあたって、多くの人に助けてもらって無事に活動することができました。出会った人、サポートしてくれた人、アドバイスしてくれた人に感謝します。

以上で活動報告を終わります。

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